人生の選択肢
結婚と出産は、男女を問わず
つくづく課題に出されてるし
私も気になっているせいか
ネットの記事が目につく。
結論から言えば、
私は結婚はどちらでも良いと思っているし、
出産はいつかは経験してみたいと思ってる。
けれど、私が気になるのは
自分の主張を展開するために、他の主張を非難、対比することでしか確立させることができないのなら、それは自分の主張の誤りや、負い目や弱みを本人が強く感じている、ということと同じに見える。
もちろん、主張は対比することで強化されるし、相手の弱みを突くことで踏み台にできることもあると思う。
でも他人に自分の人生における考えに共感してもらうことにどれだけの価値があるのだろうか。それこそ夫婦のように共に歩むと決めた者同士や、会社の意向とかの話し合いにおいては、建設的な意見が行われるかもしれない。
でも自分単体における人生においては少し違う気がする。
どうして他人の意見がそんなに気になるのか。
それは不安でしょうがないからだと思うのです。
誰もがみんな不安だから、いわゆる一般的な流れで生きていこうとするし、周りと波風たてない考えを保とうとする。そうやってうまく生きて行く。
友人や家族にもそうであって欲しいと望む。心配だし、他の対応がわからないから怖い。
ほんの少し人と違うと、みんなに指さされて、アーダコーダと言われる。
そうなると、不安だから、自分と似た人を探す。私だけじゃないと安心する。そう言って他人を例に出す。
でもみーんな違うわけだよ、パターンなんて。
大事なのは、なぜそうしたか、自分のことを納得させられるかということだけだと思う。
万が一将来子ども欲しかったなぁって思った時、その判断を誤ったと後悔することはないですか?
結婚はしない、1人で生きて行く、と決めたとして、後で寂しくならないですか?
思いもよらず子どもができてしまったとして、きちんとその子を育てられますか?
勢いにまかせて結婚して、その人をずっと愛して行けますか?
途中で信念が変わったって構わないと思うのよ、生きてるのだもの、時間が経って人に出会って環境が変われば、考え方だって変わる。
だけど、今この瞬間は、少なくとも後悔しないよ、と自分に言えますか?
そしたらさ、胸張って生きたらいいと思うんだ。どんな生き方したって、どーせ人に迷惑かけるわけだしさ。それはちゃんと理解するべきだと思う。
みんな自分の人生の経験談からしか話せないわけで、人があまり通らない道はみんな怖いとこだよって言いますわ。そりゃそーよ。
私だって、あなただって一緒でしょ?
攻撃してくる人だって一緒。
怖いよーって脅してくる人の気持ちも分かると思うんだ。
そうだよねぇ、とか笑ってたらいいじゃない?
似た人がいるのなら、美談を例にだすのではなく、失敗談をよく聞いた方がいいと思うのです。だっていいと思ってるからそっちいくのでしょ?そんないい話ばっか聞かなくたって、自分にとっていいとこであることは間違いないわけだから。失敗談をクリアする方法を考えた方が有意義だと思うの。そしてそれが、攻撃してくる人たちへの最大の防御になると思う。そんなリスクはとっくに知ってるって言える。
反対意見のある人には、逆にたくさん美談を聞いたらいいと思うの。正反対の人生を歩もうとしてる人なら、その幸せは、きっと手に入れにくいところにあるってこと、受け止めた方がいいと思うの。その覚悟があるってことでしょ?
お互いの人生をさ、感じられない喜びをさ、共有しようよ。共感しなくたっていいけど、分け合うことはできると思う。
私は全然違う世界で、違う人生を送ってる人の話、聞きたいな。
私が諦めちゃった先の話、聞きたいな。
さみしいなって思うこともあるし、間違っちゃったかなぁって思うこともあるけど、
私は自分に満足してるつもり。
そう思いたいし、満足してない部分はこれからなんとかして埋めていきたいって思ってる。
うまくできちゃいないけど、後ろ向きでネガティブでどーしようもないとき、そうやって言い聞かせてる。
政治的にとか、家系的にとか、財政的にとか
それなりにそれなりの意見がどうしてもあって、それはしかるべきだと思う。
それはそれで受け止めなくちゃいけないのだと思う。どうしてもシステムが気にいらないのなら、他にある既存のシステムの中に移動したらいい。逃げるというか、1つの選択だと思う。
私たちは1人では生きていないから、集団の中でそれなりのルールや責任はあるはずだとは思うのです。
それに、システム上おかしい場合は、やっぱり個体に対してどんなに抗議してもしょうがないから、上を叩かなくちゃ。
自分独りだと思わないで。自分が思い立ったことなんて、他の誰かがとっくに考えてること。あとは行動してるかしてないかの差に過ぎないと思う。声をあげればきっと反応するから。
と、とやかく言ってみたが
強い口調の意見は、物議を醸すきっかけとなるから、そういう人も必要なのよね、きっと。
現に、私が影響されてるのだから。
ただ、私はそういう小さな世界の中で、
必要のない争いはあると思うのだ。
それはお互いが望まないカタチの、暖かな血の通った虚しい争い。
好きだから伝える言葉にも棘があるし、
大切だからと忠告することもあるとは思う、
だったら最初にそう伝えたい、そしてきちんと話を聞きたいんだ、そして私の話も聞いて欲しい。
そうじゃないなら、ホントにそれはただの戯言だと思う。食ってかかるに値しない弱き声。弱い者はよく吠える。
どうして、思い合っていてもなかなかうまくいかないのかな……。
そんな周辺でおきるイザコザに、
時に無性に苛立たしく感じるのでした。