同窓会という時空と現実の瞬き

私は人の幸せを幸せに思いたいし、思おうとしてるつもりだ。

うん、「している」というほど恣意的でも、無理にでもないのだけれど、少なくともふんわりと広がる緩やかな温かさと、幸せを分けてもらえてはいる。

けれどやはり、その温かな湯船からあがると、嫉妬や、焦燥や、空虚さという好ましくない感情が私を襲うことがあるのだ。

 

古くからの友人たちが、何にも囚われることなく当たり前に日々会うことが、少しずつ、少しずつ難しくなっていくのを、改めて感じざるを得なかった同窓会。

 

家族がいる者、結婚する者、仕事がある者、海外に行く者。

幸せで充実した素敵な理由が、彼らを私から遠ざける理由として聞こえてしまうのであった。

 

これはきっと私がまだまだ自分の人生を使いきれていないのだと、自分に振り返り思い直すのだが、ぷつりと針で刺したような小さな穴から、冷たい風が流れて来る気がした。

肌寒い。

隙間風は、気にしなければ気にならなかったはずなのに、気になり出したらなかなか無視できなくなる。

 

思い出に浸っているだけなんだろうな。

小さな頃、白髪の混ざった大人たちが、少年少女のように笑う飲食店の一角が、なぜか時空を越えているようにみえたよね。

懐かしむ思いと、その戻らない時間にほんの少し触れたから、切なさを覚えただけなんでしょ。

 

けれど、誰かの代わりを誰かに託すことなんてできないし。いい思い出だったわ。なんて彼らとの出会いを単なる過去に終わらせてしまいたくないし、終わらせないでと願ってしまう。

ワガママだからさ。1度繋がったものを、1度触れた紐の先っぽを、放してなるものかと。

こっち向いてよって。。私を忘れないでって。

口に出さずに胸が詰まった。

 

そうして気づいたのです。

あぁそうか、こうやって私は昔の自分と少しずつお別れをしなければいけないのだなと。彼らとではなく、昔の自分と。

これはきっと、過去の私が消えて逝く冷たさなのだと。

何気なく生きている毎日も、また知らず知らずのうちに今日の自分を終えて逝く。

終えた私が、今の私に置いてかないでと縋るんだ。ねぇ、一緒にいようって。こっちは幸せだよって。

けれどそれはもう私の亡霊で、だからホントはとても冷たくて、怨念が私を包み、人の幸せを妬み、哀しさを植えつける。

 

どうしたもんかな……

とにかくもう、今を、一瞬を、もっともっと輝いて生きなくては。そうやって、その一瞬を燃やすことで、私は生きる為の暖を取り続けなければ。

そうでもしないと、昨日の私が、そして昔になっていく私たちが報われない気がしたんだ。

とにかくもう、今を、今の私は、幸せだと叫び続けたい。

そうして素直に、心から人の幸せを喜びたい。

逢えなくなったっていいんだって。

私たちはいつも一瞬の強い光だったんだからって。なんてさ、思えるような人になりたい。