皆勤賞という弊害という考え方という責任転嫁?

皆勤賞を廃止しようという時代の流れがあるようです。
日本社会的に、有給休暇を使わない、休みにくい雰囲気を助長しているからみたいです。
休まない=偉いという感覚を払拭したいみたいです。


その感覚を他人に強要するのは違うとは思うし、どうも賛成派が多いようですが、なんでわざわざ皆勤賞を廃止する必要があるのかと、私などは思ったりしています。

廃止を反対したいというよりは、それにそんなに意味があるのかなと、もう少し詳しく聞きたいのです。

 

主人公を特定の子にしない舞台劇に
1位を決めない運動会。
競争も賞賛もされないのがいいのでしょうか。
私の感覚がずれてるのでしょうか。

 

多義性を重んじるなら、みんなそれぞれ褒めてあげても良くないですか?
元気が取り柄の子とか、いや病弱だからこそ休まずに行こうとした子を、最後の最後に表彰することがいけないことですか?


休んじゃいけないなんて、学校も言ってないですよね?卒業単位とりゃいいわけでしょ?

そういった意見の方は、皆勤賞を取った方なのかな?取れなかったけど、強制されてた人なのかな?

大学時代も皆勤賞だったのかな?休まずに授業受けてた?あぁそっか、皆勤賞ないから休めるのか。なるほど……。

 

じゃぁ、大人になって休まなかったねぇ、偉いねぇって褒められたいのかな?大事なのは休まないことじゃなくて、結果出すことでしょ?

みんなはなんで休めないのかな?褒められたいから休まないの?迷惑かかるとか思うからのほうじゃないのかな?学校休んだら誰かに迷惑ってかかったっけ?

社会人のシステムと学生の時のシステムってちょっと違くない?

 

皆勤賞が目的になっても、それはそれでまたいいとは思うんです。それで学校行きたいって思えるなら、それでもいいんじゃない?行きたくない子が多い時代に、少しでも理由があるなら、それでもよくないですか?

 

皆勤賞には、意味がないんだそうです。子どもの頃に表彰されたあらゆる中でも、最もメリットがなく、むしろやっぱり休めない社会を作る弊害なのだそうです。

 

確かに今後に活かせるようなメリットないかもしれないですね。でも思うのは、そもそも無意味なものは表彰してはいけないのでしょうか。

正直私は、小学生の時にもらった賞は、現在ほとんど活用などできてないと思います。そもそも小学生くらいの時にもらった賞なんてそんなもんではないのでしょうか。いや、というかそんなん言い出したら巷に無駄な賞なんて山ほどありません?

 

表彰に意味や価値を付加させられるのは本人の考え方次第だと思います。どんな立派と言われる賞だって、使い方次第、アピール次第じゃない?

 

なんかやったら、結果褒められちゃった、

やっぴーくらいな感じ。

それがなんか個人的に頑張ったものなら、それぞれの賞を貰ったっていうだけで、自分の能力とか頑張りとかよりも存在を肯定されたみたいで嬉しかったけどな。

 

単に皆勤賞廃止ってのはさ、

じゃぁめんどくさいし、廃止!

って言っているようにみえてしまうのです。そうじゃないとは思うけれど…

 

そうでないとしたら、皆勤賞のシステム少し変えてみるとかではダメなのかな?熱がでて休んでも公欠にしてあげたら?社会人の有給システムみたいな。それじゃホントに休まなかった子がかわいそう?嘘ついてまでそんなのに必死に皆勤賞欲しいならあげれば?だって皆勤賞に意味ないんでしょ?意味ないならあげてもよくない?むしろ今後有給をうまく使う練習ができるよ。うん、そのほうが有意義じゃない?


高校くらいからは課外授業や認定単位システムみたいの導入するのは?
いじめられてたり、学校行きたくなかったり、すでに将来の夢があってもっと関心のあるものに使える時間を作ってあげるのは?


そもそもね、学校休む子は悪でしたか?家族旅行とかでも私は羨ましくてしょうがなかった。行けるもんなら行きたかった。ディズニーランド行ってきたぁってお土産くれる子、嫌われてた?休むのはイケナイこと、なんて感覚、そん時も持ってなかったと思うんだよなぁ。

それにさ、偉いか偉くないか、じゃなくて
単純に休まないって結構大変だと思うんだよね…。行きたくないとかってあるじゃん。友だちと喧嘩しちゃった時とかもあるじゃん。体調悪いときも、嫌いな科目があるときも。でも全部、なんとか乗り切ってきたか、まぁそういうことが無かったか。そりゃそれでハッピーラッキーすげーじゃんって。運がいいのもすごくない?

 

皆勤賞は絶対残すべきだ!って主張まではないけれど、私はただ、褒めてあげる機会を減らすことにそこまで重要な意味があるのか、と思うのです。

 

休めない社会人は皆勤賞貰った人たちなわけじゃないと思うんです。だって私の学校では1年に2、3人しか出てなかった気がするの。
つまりさ、そんなに大量の休めない人は生産されてないはずなんだよ。そうじゃない?


つまり、根本的な感覚の問題でしょ?

それ、皆勤賞の所為にしてないですか?

って思うのです。


なんで素直に、休まなかったの?すげーって言えないんだろ。

学校なんてそもそも行かなくたってどーとでもなるという個人的な意見がある中で、行った子におつかれさまぁーみたいのあってなにがいけないのか、と。

 

賞賛するに値しないってことなのかな。

なに毎日学校きてんだよってなるのかな。

ばかみたいなのかな。

誰かを傷つけるのかな?

休まないことは悪なのかな。

 

廃止です!皆勤賞は害です!って私はあまり直結しなくて…悪い面もあるのかもしれないけれど、それは皆勤賞が悪いの?その表彰の仕方とか、取り組み方とか、別のところにあるような気がする。そしてもっと、休めない日本人性を変える方法あるんじゃないかってことを言いたかったのでした。

 

いろんな意見の人がいると思うけど、

皆勤した方々には、賞とか無くなって構わないから、とりあえず私からは

すげーね!っと伝えたいです。 



追記

皆勤賞廃止について、友人と話してみました。私の考えが至らない部分があったのだけど、学校の、特に義務教育において、基本的には社会の縮図というか、当たり前だけど、社会で必要である知識を身につける場である以上、社会で価値があると考えられるものに教育の場にも価値を持たせる必要があると。で、社会に出た時に、休まないね、偉いねにはならないと。だったら、教育機関において、その労力を社会にも還元できるとこに向けさせる必要があると。また、「賞」として維持することに、少しでも不快に思う人がいるのであれば、社会に直接還元されないものは排除した方がいいだろうという、ざっくりいえばこう言った見解ではないかと。

なるほど、理解した。

とはいえ、一種の強制的で規則的な時間で、リズム正しく、健康に過ごすことって実は私はあの時期しか求められていなかった気がするから、あれが自分に向いているのか、向いてないのか、お試し期間な気もするんだよね。それができることは一種の特性だとは思うのね、だから賞としてではなくても、価値はあると思うの。だから、賞という形が残らないとしても、休まずいった人にはやっぱりすごいねって言ってあげたいし、それをどう活かそうかって話してみたいな。