学問と科学信者

日本人はあんまり宗教には興味ない人が多い傾向にあるし、なんなら禍々しいものだと思っている人さえいると思うのです。

 

宗教って、結局は人の信念なわけで、拠り所となるものじゃないですか?と、私は思っているのです。

ニーチェによって神は死んだと宣言されたけれど、私はやっぱりあると思うのですよ。漠然と。…などと、私は宗教をとやかく言いたい訳ではなくて…。

 

今の人たちの多くは科学教なのではないか

と、思ったのです。

かく言う私もそうなのではないかと。

 

宗教に関してはとても興味があるのですが、どうもどれもストンと落ち着かず、どの宗教もそれなりに素敵なことを言っているし、

私は○○教だわ!とは言い切れないのです。

 

けれど私たちはたぶん皆、太陽は地球の回転から東から昇るものだと思っているし、1年は365日だし、夜に光る星々は「☆」なんかじゃなくて恒星だと知っているし、地球は丸くて、生命の進化論を信じてる。

インターネットも、電子機器も当たり前のように社会に溢れてる。

人間の構造もより深く理解され、医学が進歩し、移植も、義手義足も充実しつつある。そしていつでも自由に頭の中で考えることができるのです。

 

だけど、かつては地球が世界の中心で、地球は丸くないし、人間は神の子だった。

1週間は必ずしも7日だったわけではないし、天文学の基本も違ってるし、そもそも1年は365日ピッタリになんかできてない。

箱に入れて温めたり、冷すことができて、遠方と連絡できるなんて、まるで魔法だ、呪術だ。

人間の肝心要は心臓よりもむしろ肝臓だったし、魂は脳の松果体にあった。

頭の奥から聞こえる声は、ダイモンの語りかけだったかもしれない。

 

神はいつも私たちの手の届かないところをも知っているものたちだったよね。たぶんきっと。

でも今は、研究や実験、観察によっていつかきっと世界のあらゆることを知ることができる、と信じてはいまいか?

少なくとも私は信じていると思うの。ある意味では。

そして私は昨今、量子力学にはまり始めたのです。

量子力学が死後を含むこの世界をより鮮明に解明しようと、ずっと奮闘しているのです。なんとも挑戦的です。

 

量子力学というジャンル自体がまたこれが、不可解なことが多すぎて、私の頭なんかじゃ、なんてヘンテコなことを言っているのだと、日常生活ではなかなか掴めない感覚を訴えているのですが…

それでも私はその研究の成果を信じてしまうのです。

だからたぶん私は科学信者なのだなぁと思ったのです。

そうです、拠り所となっているのです。

なぜか勇気が湧いてくるのです。

だから科学も一種の宗教だなと思ったのです。

 

しかし一方で、なぜこんな話になったのかというと、科学信者特有の疑うという性質が発動してしまったが故でございます。

なんとこの世界の当たり前を当たり前に受け入れていることかと、改めて驚いてしまったからであります。

 

しかし、どんな宗教にも救われない人がいるのだとしたら、どうか物理学や、化学、科学、医学に、生物学に触れてみてはどうかなと。表面でしか知らない情報がよくよく読んでみると、なんと神秘的なことか、とたまに私は思ってしまうことがあるのです。そして、のめり込んだらより研究を深めてくれないかな。

私や、その他多くの科学信者のために。

 

私ももし、いつか神的な研究が発表されて、その結果に触れることがあるならば、ちょっとだけ布教活動に参加してみたいなと思うのでした。

 

ちなみに今はロジャー・ペンローズさんの世界観が魅力的。なかなか理解しきれないけれど。