建設か破壊か

さて、今年もまた国際女性デーが過ぎ去っていたので、全体的にふっと思うところを漠然と吐き出してみる。


女性かどうかに限らず、最近は固定観念に縛られないことや、様々なところでよりフリーなスタイルが認められつつある。

喜ばしいことだ。


ただ、その度に思うのは、

そこもまた強い意志の人の思いによって左右されてないかなぁってこと。


自由ってすごく難しいと思うんだよね。

うちの方針はものすごく自由だったから思うのだけど。


とりあえず言われた通りやってみて、違かったらその都度変えてみたり、選択肢があった方がずーっと楽だし効率的だと私は思うのです。

つまり、単に今自分を縛り付けている性別差などの視点や偏見や規定を取っ払うことに尽力するよりも、多少偏見的でも、まずはそれなりにルールはルールとしてある、もしくはあった意義も認めつつ、イレギュラーを拡大していくくらいがいいと思うって話。


もちろん時に起爆剤も大事だとは思うのだけど…

OKわかった、じゃぁはーい、なんでもいいよぉ~って言われたら怖くない?

無責任だって思う?

だっていきなり自由を許したら、それもまた管理する側だって大変だよ。

誰がどうやって統制するの?

それって誰にも頼れないってことなんだよ?

自ら律しなきゃいけないし、

人と比べてはいけないし、

正解かどうかもその度に違うことになる。

自らの自由を認めるということは、

他人からの批判や意見もキッチリと自己で受け止めなければいけないってことになる。

耳を澄ませばの雫のお父さんも言ってた。

何が起きても、誰のせいにもできないからねって。

その通りだと思う。


生き方は、もちろん自由だ。

女性の権利も高らかに唱おう。


だけど、今まであった、私たちを囲う檻や柵が、必ずしも私たちを閉じ込めるためだけにあったわけではなく、時に守り、時に繋がりを作り、時に武器となり、利があったことも認めた上で、

自らの意思で柵を飛び越え、防具を身につけて進む必要がある気がするのです。

いや、単身である必要もなく、部族ごとに移動してもいいし、新しい柵を増築することもいいと思う。

だけど、いきなり全会一致のように柵をぶっ壊したりしないで欲しいなって。まだ覚悟できてない人も、そっちに行きたくない人もいるかもしれないなぁって。野ざらしになってしまうよ。


不満なんていくらでもある。

言い出したらキリがない。

ただの不満だと無駄な批判を浴びない為にも、私もいたずらに何かを嘆くことなく、何かの代表としてでもなく、あくまでも私の意思をもって、より自分自身納得できるよう、自分が持てるだけの能力を、出来るだけ上手に使って、楽しく生きていきたいなって思う。


そんで多くの人が、くすぶっている能力を、恥じることなく、弾圧されることなく、伸びやかに広げることが出来るようになれば良いな。その世界がどんなものなのか、うまく想像できないけれど、きっといい社会だと思うんだ。そうじゃないだろうか……。