歳を重ねる心構え

まぁ、さほど若くはなくなってきたわけだが、比較的に若い層ということで、私が思うこと。


マツコさんがテレビで、ついていけないジジイとクーラーの話をしていたけれど、昔はクーラーなんてなかった耐えられた、なんてのは時代や気候にそぐわないから、それはごもっともであるなと思ったし、それは歳を重ねた人の大切な心構えであるなぁと、わたしも今後2、30年も経たぬうちに立派なババアになるので賛同したいけれど、その反面、ノスタルジーでものを語るのをやめようという考えには、なんとなく違和感がのこった。


わたしは年配の方々の昔はこうだったって話を聞くのは好きだ。問題は話し方だと思うのだ。

話し相手を考慮せず、自分の大げさな自慢話と今の批判、不満をぶちまける愚痴であれば、高校生だろうが、仕事の仲間であろうが、年代に関係なく不愉快だ。

それが目上であれば尚更、不快を表現することを憚るので募り募って、その人が嫌いになる。

 

高田純次さんの哲学にも、歳をとってやってはいけないことは「説教」と「昔話」と「自慢話」だと聞いたことがある。初めて聞いたときはその通りだなと思った。

 

そりゃ、なりふり構わずそんな話ばかり何度も言われたってこっちも困る。それぐらいの心構えでいいかもしれないけれど…

今はこうだよねぇ。でも昔はこうだったんだよ。こういうこともあったなぁーって。ノスタルジーに浸ることはいけないこと?

私の知らない世界を教えてくれているようで、私は好きだ。

だから、縮こまっていくように歳をとらないでください。

でも壁を作るように立ちはだからないでください。

どんな歳になっても、共生している以上、共有できるものは共有したいし、配慮を怠ってはならない。

 

まだまだ若輩者としては、先輩の昔話は、時には反面教師として、時間を使う以上何かを得るつもりで聴きたい。単なる愚痴のはけ口にならぬよう、こちらからも程よく頼り、時には意見を言おう。

少しずつ後輩が増える歳になってきて、慣習が必ずしも正しいわけではないことを改めて肝に銘じ、時には自らの過去を自らの手で否定せざるを得ないこともあろうが、どんな生き方も一種のお手本であると開き直って、惜しみなく知識と経験を共有しよう。

 

ある時は人生の先輩に、ある時は後輩になりながら、互いの利益となるよう支え合えたらいいと思う。

そうしていつも夢と思い出と反省を繰り返しながら、歳を重ねていきたいかな。