※個人の感想です。

バラエティや通販サイトでよく見かける言葉。

個人の感想です。

 

そしたら、なんで全ての番組で用いないのかなぁと、ふと思った。ニュースや情報番組でももっと多様されてもいいのではないかと。

 

まぁそもそも苦情対策だろうから、苦情が出なそうなところで出す必要はないわけで、苦情がでるからバラエティの規制も厳しくなるわけだけど…。

それでも、私が思うのは、バラエティは個人の感想だが、ニュースは違うのか?という差別化が著しいと感じるのだ。ニュースだってコメンテーターとか個人の感想だいぶ含んでますよね?って。

 

まぁそもそもバラエティ番組でもそんな表示出さなくてもいいだろ派で、大事なのは事実であって、そんな表面の表記に興味はない。ただ、そういった苦情を出す人は全部に逐一ちゃんとしてくれているのだろうかと。

ニュース情報番組の与える影響の大きさがどれほどのものか。バラエティが与える悪影響とはどんなものか。

 

結局は全部リテラシーの話になってしまうけれど、バラエティ番組の規制が増え、情報番組では確かな情報が流れてることになるのかな?

 

して、なぜそんな話になったかといえば。

昔からニュースは悲しい出来事が多いなと、漠然と思ってたのだけど、事実なら何を伝えてもいいのかと、知りたい内容ならどんな伝え方でもいいのかと。

なんだか人の死が消費されているように感じたからなのだけれど。

 

事件や事故はもちろんのこと昨今では、いじめや労災による自殺の話。そしてその命は、1つの例となって、いつしかひとまとめにされて、時が来たら忘れられてしまったように話題にもあがらない。もちろん遺族の意向もあるのかもしれないけれど、それを見た今苦しんでいる人はどうしたらいい?流すなというのではなくて、流すことの影響はどう考えてるのかなと改めて思うようになった。

 

個人的には、もしそういう情報を流す側として考えたら、そういう事実があるという共有と、世間的に認めてはいけないという風潮を広げることと、対策を急ぐよう呼びかけになること、かわいそうだという共感と加害者への非難を促すものになるのではと考えるのではないかと。

 

でも今死にたい人とかはそれを見てどう感じるのかなって。あぁ、みんなそうなんだ、私1人じゃないって安心する?そうなのかな。

私は私だもの、1つの事件からすぐに自分の解決には繋がらないと私なら思う。少なくともそんな楽観的になんて考えられない気がするの。

私だったらね。個人の感想だけど。

むしろ、あぁ、そっかぁ、遺書は書いといた方がいいかもなぁとか、線路に飛び込むのは迷惑かなぁとか、そんなこと考えてしまう気がする。先に逝った人がいる私だけじゃないって。

 

離婚した片親の子どもは、結婚しても離婚する確率が高い。なんていうジンクスがある。

これは、親が離婚したから、両親の家庭を知らないとか遺伝とか性格とかなんか直接的な問題があるわけではないらしい。離婚が身近なものとしてあることが原因の1つといわれている。選択肢としてあがりやすいのだろう。

ちなみに、同じ理由で同棲をしたが別れたことがある人も離婚率が上がるらしい。

つまり、身の回りで触れる機会が多いものに対しての壁が低くなりやすいということを意味する。

最近の離婚率があがっているのも、離婚率があがっているという情報が離婚率をあげる可能性があるのではないかとさえ思う。

離婚に関しては我慢しなくていいと気が楽になるかもしれないね。辛かったら、嫌だったらやめたらいいのだけど…

 

事実だろう。事実なんだろうけど、その情報をもってして、どうしたい?事実を伝えることは大切かもしれないけれど、それを伝えるとどうなる?

 

まっ、結局見る側の問題なわけですよね。

そうなのよ。そう考えると、バラエティの暴力的な描写と、危険な映像と、残忍な事件と、何が違うのですかと思うのです。

 

して、私が思うのは、身の回りでの対応策をもっと伝えて欲しいということ。その事実を流すことにも意味があるだろうけれど、他に実際に助かっている人がたくさんいるということ、共感と共有で見た人の心が救われる道を示すこと。

嘘や妄想を並べろというわけではないけれど、アホみたく夢みたいなこと流せってわけじゃないけど、もっともっと幸せの形を情報として流してもいいのではないかと。その比率が限りなく五分に近い方がいいと思うんだ。むしろ人の幸せなんか記憶に残らないことが多くて、危機管理として嫌なことばかり頭に残るから、少しハッピーの方が多くてもいいくらいだと思う。

 

辛い人には幸せアピールはマイナスになることももちろんあるから手放しにただハッピーを流せともいえないけれど、幸せな時代に生きているなと満足感が増す可能性もあるのではないかと。

そんな生ぬるい情報で甘ったれた考えではいけないと思うかもしれないけど、なにクソって反骨精神を鍛えるのもいいけど、みんなが幸せだなぁ、はははぁってアホヅラでもよくない?

 

全部事実であることが前提だよ、もちろん。そして、悪いニュースを全く流すべきではないとも言わない。

けどね、結局ニュースで得られるのは情報であって身近には感じにくい。悲しみも切なさも苦しみも、結局人なんて、他人事だと思えるから立て続けの悲劇的なニュースを見ていられるんでしょ?

親族の死を、最愛の人の事件を、友人の事故を淡々と事実だけを述べるニュースを見ていられるの?私には無理。

 

個人の感想だけど。

この情報過多な世界で、1つ1つのニュースを、限りなく量は少ないけど、毎日丁寧に扱う。そんなニュース番組があってもいいんじゃないかなって。そう思ったんだ。