意思疎通のはじめ、疎通の意志表示

昼下がり、少し遅めの昼食を窓際の席で食べるのが好きだ。
天気を見たり、通り過ぎる人をみたり、

淡々とした時の流れに身を任せてるぜぃ

みたいな時間が好きだ。

 

通常はテレビか映画みたいに、ぼーと出来事を眺めているのだけど

ときたま、私に向かってアクションをおこす人が現れる。

 

小学生の社会科見学集団だ。

 

彼らは規則正しく並びながら

または、お行儀よくバスの中で座りながらも

それぞれの個性を存分に発揮し、

そして、団体としての個性も出しながら

目の前を通り過ぎる。

だから見てて微笑ましいし、どこか懐かしい。

思わず凝視してしまう。


すると、どーしてもその中の誰かとは目が合ってしまう瞬間がある。

お互いどーしていいかわからずにいると

向こうは何かに気付いたように

急ににこやかに笑いかけ、小さな手を大きく振ってくる。

 

そういえば、私にもそんなことをしたことがあったような気がするが…

その行動は周知に知られ、瞬く間に感染する。

気づけば、最初の子の周り4、5人も、まるで何かのゲームのように必死になって私に手を振ってくる。

思わず吹き出してしまった。

 

手を振り返すか躊躇してしまったので

彼らの乗るバスは、

信号を渡らざるを得なくなり

視界から姿を消していった。

 

まったく、なんで振り返さなかったのかと後悔が残った。

 

あんだけ無邪気に、手を振れた日を

私はすっかり忘れていた。

 

あの一瞬には、いろんなものが取り払われた、なにか疎通が行われたようにみえた。

ゲームになってしまってからは、私よりもきっとみんなとの繋がりを感じたことだろうけれど

あの時は、言葉でもない何かで

お互いにニヤッと笑いあって…

そして手を振ってくれたんだ。

 

小学生の頃だって悩みはいっぱいあったけれど

もっと物事を、ありのまま、あたりまえに

今よりももう少し素直に受け止めてた気がする。

その分、素直に傷つき、素直に喜んでた。

 

天皇皇后両陛下も、政治家も

なんであんなに手を振るのかな

と、思ってたけれど

手を振り合うってきっととてもほっこりする。

平和ってやつはこのことかもしれない

とさえ、思えた。

戦略的かもしれないけれど、

手を振るだけで「他人」じゃなくなれる。

ただの風景が、いきなり息を吹き返し、意志を持ち、「あなた」とか「君」とか1人の人になる。

友だちとかもそうやって作ってきたような気がする。

そんな感じ。

 

その男の子が私に教えてくれたことは

そういった、どうも言葉にし辛いけれど

素朴な感情だったと思う。

 

今度あったら、きっと振り返してやるのだと心に決めた日だった。