死ぬために今を唯ひたすらに生きていたい

そう言ったら凄い目でみられた。

おかしいらしい。

ちなみに前提として、私は死にたいわけではない。

激しく死にたくない。

死ぬから生きるのであって、

死なないならこうして生きてはこれなかったのではないかと思うのです。

死ぬからこそ今を必死に生きている、といえば聞こえが良いようですが、結局ほぼ同義ではないだろうかと思う。

 

例えば人生ってマラソンとかなんとか例えられるけど、マラソンを通して考えてみたんだ。

 

なぜ走るのですか?という問いにはたくさん理由をそれなりにつけれると思うけど

金メダル取るためとか、鍛えるためとか。

でもなぜ、スタートラインにたったのかは究極的にはゴールする為だと思うのです。

 

なぜ生きているのですか?という問いには各々理由をつくれるかもしれないけれど

なぜ、産まれたのですか?と言われたら、究極的には死ぬ為だと思うのです。

超えるべき山はあるかもしれないけれど、

死ぬ為に産まれたと思うのです。

生を成し終える為に生を始めたのです。

 

誤解して欲しくないのは、これは決して悲観的な話ではないのです。

私は常にそう思って生きているのですが

だからこそ今も生きることにすがって生きています。

 

一度だけマラソンに出たことがあるけれど、あの時の目標はとにかく完走することでした。

そんなことするのに意味があるのか

と聞かれると、確かになんの意味があったのかよくわかりません。

でも、スタートした人に対して、どうしてゴールに向かうのか?と聞く人はいますか?

その時もひたすらゴールを目指しましたし、そこには「なぜ?」がいらないくらいにすでに意味があるように感じました。

途中苦しくて辛くても本気でなんで走ってんだと、遅い私には幾度となく自問自答する機会を与えられます。

それでも行けるとこまで行ってみたいんだとそう思いました。

 

無理やりスタトートラインに立たされる人もいるのかもしれない。

そんなとき、そもそも立ちたいとも思わなかったレースに出なきゃいけないのはとても耐え難いと思う。無意味にも思う。

もうやーめた、て思うことも、惰性でやり遂げることもあってしょうがないよなぁって思ったりもする。

 

でもマラソンと人生で違うのはさ、

スタートラインにたっちゃったら、

テープを切ることがゴールなの。

そしてゴールのみならず、もはやスタートラインさえみんな違う場所なの。

せーの、でスタートしないから

みーんな違うレースにでて、

みーんな違うゴールに着く。

 

命が尽きるその時が、そのレースの必ずゴールなの。

 

ホノルルマラソンみたいなレースもあれば

東京マラソンみたいなレースもある。

山岳レースや、トライアスロンみたいなレースもあるかもしれない。

 

そう思うと、このレースにはそもそもライバルってやつぁ存在しない。

 

つまりこのレースにおける意義は

ゴールした時の満足感に他ならない。

生き方、よりもむしろ死に方。

今のこの瞬間のみならず、すべての時間とその最後の瞬間。

 

短いレースを走り抜けることも、

長距離レースを走り続けることも

どっちも内容はそれぞれ大きく違うけれど

どっちもくだらなく思えるし、

どっちも素晴らしく思える。 

 

 死ぬその瞬間に

どれだけ自分に納得できるか

どれだけ笑えるか

どれだけ満足してるか

それだけな気がするんです。

 

走ってみないとレース内容も教えてもらえないし、いきなり道が崩れるかもしれない。

天候にも恵まれないかもしれないし

1日じゃゴールにつかないから持久戦を強いられるかもしれない。

途中で疲れて座り込んじゃうかもしれない。

でも「ゴール!おつかれー」って言ってもらえないから、まだとりあえずゴールまで向かわないといけない。

自転車使ってもいいよーってなるかもしれない。

ワープできるよーってこともあるかもしれない。

 

もうどーしよーもなくて、もうゴールにしちゃうかもしれない。私のゴールはココ。

もう十分って。

一応ゴールはここよぉーって、カーナビみたいな目的地線みたいのがあったかもしれないけど、あなたが言うならそこがゴール。

そん時は、誰がなんと言おうとそこがゴールなの。

 

寿命とかいう漠然とした名前のついた目的地もあるかもしれないけど

そこが必ずしもゴールじゃないのかも。

ゴールを教えてもらえないから、いきなり現れることもある。

ゴールが近づくとゴールテープが見えるときもあるかもしれない。

 

それでも…

やっぱり死に向かって生きるしかない。

だから目的地は終点でしょ?

どんな駅で止まろうとさ。

だから素敵な道を走りたいしできるだけいろんな景色がみたい。それだけ。それだけなの。

 

もちろん、人それぞれでいいと思うし

それぞれの意味や意義や目的を否定する気は全くない。

けれど私はそう思って生きてるの。

少なくとも今は。

そう思って生きるのが一番楽になれたし

一番のびのびできるし

いちばん…生きてる以上生きてていいんだと思えた。

自分のそれ以前も、それ以降も肯定できたし、一方で否定もできた。

一番可能性があったし、一番余地を残したし

一番しっくりきたし、一番確実だったし

そして、一番前を向かなければいけない理由ができたんだ。

 

誰もがみんなゴールテープをきれる

どんな形であっても。

そしてそれはなによりやっぱり尊い気がするんだ。

 

誰も教えてくれない答えなら

もう先に、私が私に答えを作ることにした。

もし答えが違っても、そのときに答え合わせしたらいい。

その時はどうか解説も一緒にして下さい。

そして劣等生な私に、教えを説いて下さい。